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三浦龍司(洛南)選手の出身中学は島根のどこ?進路の大学は?

スポーツ

大学陸上や駅伝で今最も注目を浴びているのが三浦龍司選手です。

今年大学に入学してから、わずか3ヶ月半で男子3000m障害日本歴代2位になっただけでなく、箱根駅伝予選会に出場し、初のハーフマラソンで全体5位ながら日本人トップの成績を収めたからです。

日本陸上界の期待を一身に背負う三浦龍司選手のことをまとめてみましたので、これから陸上競技が面白くなりますよ。

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三浦龍司選手の出身中学

三浦龍司選手は、島根県浜田市のクラブチーム「浜田JAS」に小学生で加入し、週3回の練習を重ねてきました。
長距離(1000m)からスタートしましたが、途中で80mハードルを始め、いろんな種目に取り込んできました。

浜田東中学校に進学してから陸上部に入部するのと同時に、「浜田JAS」でも努力を重ねた結果、全国中学生陸上競技大会、ジュニアオリンピック、全国都道府県男子駅伝大会に出場するなどの活躍を見せました。

中学校では、1500mや3000mがメインで、中国大会で優勝したことから注目され始めました。

中学時代のベスト記録は、1500mでは4分06秒00、3000mで8分49秒63です。

三浦龍司選手の出身高校

京都の名門私立洛南高校に進学してから、3000m障害にも挑戦。

高校1年生では、近畿高校ユース3000m障害で9分10秒78で大会新記録かつ高校1年生歴代2位の記録をマークしました。

高校2年生の時に、3000m障害で8分52秒27で京都高校新記録、U18では8分46秒56で日本記録を達成。京都府高校駅伝1区、近畿高校駅伝6区で区間賞を獲得。

さらに高校3年生では、3000m障害の8分39秒37で日本高校新記録、3000mの8分10秒57で京都高校記録、京都府高校駅伝1区で区間賞を達成しました。

高校でも順調に記録を伸ばしていったのがスゴイですね。

三浦龍司選手の進路

洛南高校を卒業後、リオデジャネイロ五輪代表でOBの塩尻和也(富士通)選手に憧れて順天堂大学に進学しました。

ところが新型コロナの影響で大学での練習が出来ず、一旦は地元の島根県に戻って一人で練習していたそうです。
普通ならメンタルが不調になるところが、三浦龍司選手はそうならなかったのが驚きですね。

三浦龍司選手の記録

三浦龍司選手が3000mSCで出場したホクレン

三浦龍司選手の名前が一気に広まったのは、高校卒業してから3ヵ月半後の2020年7月18日に開催された「ホクレンディスタンスチャレンジ千歳大会」3000m障害で、わずか0秒44の日本記録に迫る日本歴代第2位の好成績を収めたからです。

さらに、新宅雅也選手(当時日体大)が1979年に達成した8分25秒8の学生記録を41年ぶりに、また愛敬重之選手(当時中京大)が1983年に出した8分31秒27のU20日本記録を37年ぶりに塗り替えたばかりか、東京オリンピック参加標準記録である8分22秒00も上回りました。

三浦龍司選手が出場した箱根駅伝予選

第97回箱根駅伝予選会が10月17日に、東京・陸上自衛隊立川駐屯地で開催されたハーフマラソン(21.0975km)に初出場したところ、全体5位また日本人トップの1時間1分41秒の記録を叩き出し、大迫傑選手が持っていたU20ハーフマラソン日本記録1時間1分47秒を更新しました。

順天堂大学チームは10年連続62回目の本選出場をトップ通過で決め、さらに三浦龍司選手は有名になりました。

三浦龍司選手の現在までのその他のベスト記録は、1500mは3分48秒00、5000mで13分51秒97です。

ところで新記録を次々に達成している三浦龍司選手でも、失格になったことがあるんですよ。

洛南高校2年生の時に出場したインターハイの予選で、障害を飛び越すのに失敗して失格になりました。
こういうことも時にはありますよね?

ちなみに三浦龍司選手の生年月日は2003年9月25日、身長は165cmと小柄ですが、その活躍ぶりはとどまるところを知らない状況です。

三浦龍司選手の出身中学や進学した大学のまとめ

三浦龍司選手は島根県の出身で、浜田東中学校→京都・洛南高校→順天堂大学と進学しています。

中学校から全国大会に出場した上に、高校入学後は3000m障害をはじめ、高校駅伝大会でも区間賞を獲得するなどの活躍を見せました。

さらに三浦龍司選手の名前を広めたのが、大学入学後のわずか3ヶ月半で3000m障害で日本歴代2位の記録を出したほか、箱根駅伝予選会の初ハーフマラソンで日本人トップとなりました。

いろんな種目で新記録をこれからも達成していくでしょうから、注目しておきたいものです。

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